ある日の早朝、名鉄の知立駅構内にある小さなお堂前で、女性が熱心に手を合わせている光景を目にしました。
駅の構内にお堂というのは見たことがありません。何だろうと思って見ると、ここは三河三弘法の一つ、見返弘法で知られる遍照院の遙拝所でした。
地元知立では見返弘法さんとか知立の弘法さんなどと呼ばれる遍照院。毎月弘法さんのご命日には市が立ち、多くの参拝者で賑わうそうです。
遍照院は旧東海道から南に一、五キロほど、その名もずばり知立市弘法山というところにあります。
寺伝によると、創建は弘仁六年(八一五)ごろ。弘法大師が関東巡錫の途中、当地に立ち寄られ、創建されたと伝わります。弘法大師はここを出られるにあたり、庭前の赤目樫でご自身の像を三体彫り、その一つを当寺の御本尊としました。
遍照寺の御本尊は、一番根元に近い部分で造られやや右を向いて振り返っているように見えることから、見返弘法と呼ばれています。通常は秘仏で、弘法大師の命日である旧暦の三月二十一日(今年は五月六日でした)だけご開帳になります。
見返弘法はどのようなお姿なのでしょうか。いつか機会があったら旧暦三月二十一日にお詣りに行ってみたいものです。
緑豊かな境内には、いくつものお堂が点在しています。
左上は本堂、地下で戒壇めぐりができます。右上は本堂裏手に設けられた四国八十八ケ所お砂踏み霊場の中央にある奥の院。
こちらは薬師堂。ここにお祀りされている薬師如来は藤原時代の作と伝わり、江戸時代までは名古屋城内の天王坊の本尊としてお祀りされていたものです。
こちらは子育て弘法大師の石像。身の丈十五尺の子供を抱いた石像の弘法大師像です。
縁日でもなく平日の午後でしたので、参拝者はそれほど多くはありませでしたが、お堂の前で熱心に手を合わせる人の姿が印象的でした。
ちなみに、ここ遍照院に加え、刈谷市にある西福寺と密蔵院が三河における代表的な弘法大師信仰の聖地で、三河三弘法と呼ばれているのですが、残りの二体の大師像が西福寺と密蔵院にお祀りされています。
上の二枚の写真は密蔵院。別れの際涙を流したことから、流涕弘法大師と呼ばれています。
もう一つの西福寺には、見送り弘法と呼ばれる像がお祀りされています。
御命日には三弘法を回るバスも出るようですので、ご関心のある方はどうぞお詣りにいらしてみてください。