飛鳥駅の南に檜前という地域があります。ここは古代の渡来系氏族の中でも最大の勢力を誇った東漢氏が本拠地とした場所です。
東漢氏は優れた言語能力を持っており、蘇我氏のもとヤマト王権で外交、軍事、財政などに力を発揮しました。
『日本書記』応神天皇二十年に、東漢氏の祖・阿知使主とその子の都加使主が渡来したと記されていますが、東漢氏は単一の氏族ではなく、朝鮮半島南部から渡来した血縁を異にする中小氏族の総称と言われています。
東漢氏が本拠地とした檜隈は、現在の檜前より広く、平田、野口、立部、栗原、大根田あたりまでを含む、明日香村の西南部を指していたようです。この辺りは巨勢道(飛鳥から五条を経て紀伊に至る古道)から吉野川、さらには紀ノ川を通じ、紀伊水道と結ばれていました。現代人の感覚からすると、交通の不便な奥まった場所に思えますが、古代においては決してそうではなく、外部からヤマトを目指す人にとって、檜隈は玄関口に相当し、当時最先端の文化や技術などが集まる場所だったのでしょう。
飛鳥駅から南東に一キロほど、小高い丘にある於美阿志神社を訪ねました。御祭神は東漢氏の祖・阿知使主とその妻と伝わり、現在地より西にあったものが、明治時代現在地に遷座しました。
ここは七世紀後半に建てられた東漢氏の氏寺・檜前寺跡で、境内には平安時代に建てられた十三重の石塔が残っています。(現在は上部が失われ十一重)
社名の「おみあし」は「あちのおみ」を逆転、転訛させたものに由来すると言われます。
現在の檜前には、石垣や白壁、板壁の民家が多く残り、どこか気高い雰囲気が漂っています。